石のしたしさよしぐれけり
井泉水
自由律俳句「層雲」を主宰されていた荻原井泉水先生は、大正十二年の東京の大震災前後に、妻子と母を失われ全くの孤独となり、其の霊を悼うため一笠一枚の巡礼として西国の礼所巡りをされました。
その時の住み家として京都の東福寺塔頭 天得院に大正十三年、十四年と住まわれて、その時に詠まれたのがこの一句です。
淋しい心境の中に庭前の石に時雨れる侘しさを沁々味わわれたのではないでしょうか。没後昭和五十一年には、天得院に井泉水先生の墓碑が建立されました。先生の句碑は、全国至る所で目にすることができますが、最も先生ゆかりの深い京都に建立することができたことは、大変意義のあることのように思われます。
また、著名な俳人、種田山頭火(たねださんとうか)は、井泉水先生の弟子にあたることをご存知の方も多いのではないでしょうか。