室町時代

臨済宗 東福寺派 萬松山

天得院は萬松山と号し、臨済宗東福寺派に属します。南北朝時代の正平年間(1346〜1370)東福寺第三十世住持・無夢一清(むむいっせい)禅師によって開創され、東福寺五塔頭の一つとして隆盛を誇りました。

その後、年とともに荒廃していきましたが、中興の祖・大機慧雄(だいきえゆう)禅師により再興され、慶長十九年(1614)東福寺第二二七世・文英清韓(ぶんえいせいかん)長老が住持となりました。

安土桃山時代

国家安康 君臣豊楽

清韓は豊臣秀吉、秀頼の五山の学僧として寵遇されました。そして、豊臣秀頼の依頼により、方広寺の鐘銘を撰文したのですが、銘文中の「国家安康、君臣豊楽」の文字が徳川家を呪うものとして徳川家康の怒りを招き、ついに天得院は取り毀されたと言われています。

現在の堂宇は、その後の天明九年(1789)に再建されたもので、明治元年(1868)に山内の塔頭本成寺と合併し現在に至ります。

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