お知らせ

山門の高札

今夏、当院山門に向かって左側にある高札(こうさつ)、木の立て札に書かれている内容を熱心に読んでいただいている方をちらほらとお見受けいたしました。
高札だけに上を向いて読まないといけないですし、字も大きいとはいえませから、いくら興味があるからとは言っても、暑い中ちゃんと読むのはちょっとしんどいですよね。
ですので、下記に文字起こししてみました。(気がつくのが遅くてすいません〜!)
まだまだ残暑も厳しいですし、読みたかったけど暑さに負けた!なんて方にもお役にたてれば嬉しいです。

天得院山門の高札(立て札)

天得院(てんとくいん)

 東福寺の塔頭(たっちゅう)で、万松山(ばんしょうざん)と号する。
 南北朝時代の正平(しょうへい)年間(1346〜1370)に東福寺第三十世住持 無夢一清(むむいっせい)禅師が開創した。
 その後、荒廃したが、大機慧雄(だいきえゆう)禅師により再興され、慶長(けいちょう)十九年(1614)、文英清韓(ぶんえい せいかん)長老が住持となった。清韓は、豊臣秀吉、秀頼の学僧として寵遇(ちょうぐう)され、秀頼の請に応じて方広寺の鐘名(しょうめい)を撰文したが、「国家安康、君臣豊楽」の文字が、家康の名を分断し、豊臣家の繁栄を願うものとして徳川家康の怒りを招き、ついに、寺は取り壊されたといわれている。
 現在の堂宇(どうう)は、天命九年(1789)に再建されたもので、明治元年(1868)に、山内の塔頭本成寺(ほんじょうじ)を合併して、今日に至っている。
 庭園は、美しい苔に覆われた枯山水庭園で、桃山時代の作庭と伝えられている。
 また、境内には、歌人の荻原井泉水(おぎわら せいせんすい)の句碑が建っている。

京都市


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